自己満足とゲーム

 

たった今、わたしは自己満足のためにお金を払っているのだなぁと感じました。

 

そう感じたきっかけは、あつまれ!どうぶつの森です。しかし、それはきっかけであってゲームの殆どが自己満足にすぎないのだと思いました。

 

私は自分の島を開拓するにあたって、テーマを考えてどうやって開拓するか、イメージはどのようにするかを思案しています。これは私だけではなく多くのプレイヤーのみなさんも行なっているのですが。それが自分の納得のいく出来になろうがなるまいが関係はなく、行く末は納得のいく形に開拓するか、無理矢理納得するかのどちらかでしょう。どちらにせよ自分の満足感のために島開発を行っているというわけです。これに加えて、インターネット上での承認欲求も含まれるかもしれません。

 

ではどうぶつの森以外のゲームに例えてみると、多くのゲームはストーリーに沿った行動をプレイアブルキャラにさせ目的を果たします。それが明確なゴールです。そのゴールに加えて、やりこみ要素と言われるものがあります。これこそ自己満足以外の何者でもないのです。やりこみ要素を満たしていくと獲得できる称号も自己満足のひとつでしょう。つまりは自己満足の上の自己満足でゲームは成り立っています。達成感や承認欲求もそれに含まれます。

 

では、単純に私が面白いと感じている感情は偽物なのでしょうか。これについてはまだ考えが至っておりませんが、取り急ぎいま感じたことを手短にまとめてみました。更に考えがまとまれば加筆や別の記事として書くかもしれません。

未来の私よ、ひらめけ!

今日はここまで。