『sunny 強い気持ち 強い愛』 感想

sunny  強い気持ち 強い愛

という映画を観ました。

アムラーと呼ばれる方達が大量発生した時代に女子高生だった人たちのお話です。

 

私は1998年生まれですから、安室奈美恵が流行していた時代をしっかりと知ることはできておりません。しかし、今とは違い黒く日焼けした健康的な肌色やルーズソックスが流行っていたことは知っています。

 

以下、感想です。

わたしは死ぬことに関してよく考えたり、恐れたりを頻繁にする人間なのですが映画の鑑賞中にもそのように考えることが非常に多くありました。

準主役が若くして亡くなってしまいますが、これはいつ自分の身になってもおかしくないとずっと考えていました。

 

端的に言いますと、わたしは大人の方からすればついこの間まで女子高生でしたが、それでも高校生活に戻りたいと感じてしまうような映画でした。教室でお菓子を食べたり、放課後ダンスをしたり、そういった友達との何気ない時間がかなり描写されています。

 

またそれぞれの家庭の事情を知ってしまい、友達の新たな一面を知ってしまう。という誰しもが経験したことのあるようなシーンもありました。

 

いずれ私も仲の良い友人と疎遠になる日が来ると思います。そういった中で同窓会などで旧友に会った際、クラスの誰かが亡くなっていることも珍しいことではないのだと感じました。欠けている、と記載すると欠席かと思われると考えましたので直接的に表現しました。

私はその欠席者が自分の可能性もゼロではないことがひどく恐ろしく思えます。

きっとこの感情は原作者や監督が映画を通して伝えたいことではありません。

もちろん、友人との時間を大切に日々を過ごすことは伝わってきましたが、それよりももっと大きな死に対する恐怖がこの映画を見て私の中からは湧き出しました。普段から、恐ろしくなってしまい何も手につかなくなるのであまり考えないようにしていましたが約90分間、死について考えながら鑑賞することとなりました。年を経るにつれてこの恐怖は薄らいでいくものだと考えています。ですから既に死に対する恐怖を克服した方、受け入れておられる方はより監督が伝えたいことが鮮明に映るのではないでしょうか。私のような未熟な存在がこの映画を鑑賞しましても、いまひとつ感動に行き着かないのかもしれません。

 

今日はここまで。